つながりを大切に・・

「子育て応援隊」リレー・コラム 第1回





立岡裕子さん(昭和22年生まれ)


 私は、24歳の時、夫が交通事故〔バイク事故〕で亡くなったために、2歳と6カ月の二人の子を抱えてのひとり親となりました。
二人の子どもがいましたので、子どものために再婚は考えませんでした。

縫い針と糸イラスト そして、私には和裁の職がありましたので、同居の自分の親に助けてもらいながら、一日中和裁の仕事をして、子どもたちを育てました。昔は死別が多かったですね。

 まだまだ母子家庭は、就労も十分にできない時代だったのですが、当時滋賀県では、森田厚子さんが戦争未亡人だったのですが、全国に先駆けて「のぞみ会」を作られ、母子家庭に対する支援や助成、就労場所を権利としてかちとる活動をされてきたので、私も甲賀町の滝初枝さんという立派な方がおられましたので、県ののぞみ会に入らせていただきました。ひとり親になって2年後でした。

 子どもには「勉強しろしろ」とは言っていませんでしたね。

そして、「食べる」ことを大切にしていましたけど、幸い何でも食べてくれたのは良かったです。

また、学校に任せていました。「うちの子は、○○先生に任せたと先生を信用していました。

 家のローンも抱えていましたが、夜はきちんと子どもたちと一緒に時間をとるようにしましたね。「この子たちを守るのは自分」と思っていました。

 若いお母さんに言えることは、大変だと思うけど、一生懸命に子どものために働いてほしい、子どもたちは見ています。

 そして、つながりを大切にしてほしいかな?

 甲賀市のひとり親家庭の会はみんなの頑張りを応援していますよ。相談くださいね。

                 2015年9月取材